月刊ビオラ~Shimpei特集記事~ -5ページ目

人の種類・・・☆

4月21日夕方。

しい。悲しい。苦しい。これらが極度に達すると、のどに何かが埋まる。息をうまく吐けなくなる。歩くための一歩は重たくなる。目線は足元に落ちる。まわりが見えなくなる。自分を殻で守ろうと閉じ込める。みんな敵に思える。やっと家に着いた。今こうして書いているのは、のどから心まで詰め込まれた毒を治療するためである。

日はよく晴れたので、近くの公園へビオラを練習しに行った。ステイ先では隣に赤ちゃんが居るそうで、弾くことはできない。日本にいたときはほぼ毎日、ビオラを楽しんでいた。そんな俺にとってビオラを弾ける、晴れた風のない日は貴重な時間となる。ボーンマスは日本よりも寒く、まだ薄手の手袋が要る。普通、弦楽器は屋外では弾かないものだが、どうしてもビオラを弾きたい衝動に駆られ足が向く。その公園は日本のとはイメージが違い、広い芝生とベンチがある。幼稚園くらいの子どもたちが親子で遊んでいる、ほほえましい姿が見られる。

のさえずりと共に一時間ほど練習していると、なぜか小石が転がってきた。気にせず続けていると何個も転がってきた。ビオラを置き、まわりを見渡す。ここは平地。小石は転がってきたのではなく、投げられたものだったのだ。姿は見えない。子供のいたずらか。そういうものは相手にしないのが肝要と思い、また練習に取り組んだ。しかし、また飛んできた。俺に当たってもまだいいけど、もしビオラに当たったら一大事。またまわりを見渡す。また飛んできた。その放物線をたどる。たどった先の茂みに、隠れた少年がかすかに見える。立ち上がり歩み寄っていくと、少年は逃げていった。少年は三人であった。

た練習しようとする。だが、また飛んでくる。相手にしない、という作戦では身が危ない。かといって、ここで帰っては俺が逃げたようだし、まだ練習したい。いらいらが募る。だから、追い払おうと思い、ドスの利かせた怒った声でヘイ!とかコラァッ!とかフワット!とか叫んでみる。少年たちは逃げていったが、遠くから石を投げてくる。俺と距離を保ちながら投げてくる汚いやり方。戻ればまた茂みに隠れ、投げてくる。

んな追いかけっこを何度か繰り返す。こんなにストレスを感じたのは何年ぶりだろうか。ある程度はアジア人への偏見を覚悟していた。対策として第一に、相手にしない。第二に、シニカルなジョークで返す。これくらいは想定しておいた。でも今回はどう対処していいかわからなかった。英語でどう、止めさせるのか。日本語でも思いつかなかった。ただ止めろと言ったところで、少年たちはさらにおもしろがるだけだろう。怒ってみたところで、拙い英語では説得力がない。言葉の争いではないし、少年にはジョークは効かないだろう。捕まえてみたところで、今後何かトラブルに巻き込まれたらいけない。結局、俺はその場を立ち去るしかなかった。

り道をとぼとぼ歩いていると、また少年たちが近寄ってきた。今度はかなり近い。ワァイ?と真剣に尋ねても、俺の発音を真似てからかってくる。俺は、怒りのあまり自分の自転車を勢いよくガードレールにぶつける。周囲の人は顔をしかめるだけで、見てみぬふり。少年たちは悠々と帰っていった。

つもより長く感じる帰り道。わずかな音にも反応してしまう俺。疑心暗鬼。通り過ぎるイギリス人が、怖い。今度は何をされるのだろう。胸が痛い。ネガティブな思いがこみ上がる。こんな嫌なことが起こってしまった原因は何だろう。俺は何かいけないことをしてしまったのかな。これからは何に注意すればいいのだろうか。公園でビオラを弾くなんていう目立ったことをしたのがいけなかったのかな。でも同じ行動をしたとしても、もし俺が欧米人だったら、少年たちは石を投げなかったのでは?もし俺が日本で同じ行動をしったとしたら、少年たちは石を投げなかったのでは?マイノリティーに対する、弱い立場に対する攻撃?国際関係の授業で習った差別が俺自身に降りかかった。そうか、これがレイシズム。英語が上達すれば言い負かすこともできる?そんな動機で英語を勉強したくない。英語が嫌い。イギリス人が嫌い。イギリスっていう保守的な国が嫌い。日本へ帰りたい。

種、レイシズム、そんな教科書の世界をここでは、自分へ向けて意識しなければならない。いったい「人の種類」って何だろう。通っている語学学校では、アジアン、アラビック、ヨーロピアンにおおよそ分かれている。授業は混ざっているが、放課後やパブではまとまりを見せる。すでに世間の頭の中で分類図式ができている。

ょうど今日、クラスでレイシズムが話題になり、授業を中断してみんなで議論したところだった。みんな、ひどい体験を次々と挙げていた。通り過ぎるときに故意に避けていく人。汚い言葉を浴びせ走り去っていくバイク。バスの中で後ろから紙くずを投げるティーンエイジャー。唾を吐いてくる少年。それは皆、イギリス人から非欧米人に向けられたものだ。「イギリス人は紳士だって?ノー。」そんな発言が飛ぶ。「本当は俺たちのことどう思っているんだ?正直に、プリーズ」とイギリス人講師に尋ねるアラビック。「いろんな考えを持った人がいる。悪く思っている人がいることは確か。」というかんじの煮え切らない返答。「どう対応すればいい?」「相手にしないことだ。もしナイフを持っていたら殺されかねないから。」やっぱり俺たちアジアン、アラビックは何もできないようだ。

食中、ホストマザーに打ち明けた。とても酷い話だと同情してくれた。これからは家の裏庭で練習させてくれるそうだ。この人たちを眺めていると、イギリスも悪くないなと思えてくる。暖かさがあるから。自分の居場所があるから。俺を認めてくれるから。今、言えるのは、その少年たちはイギリス人を代表しているわけではないこと。憎むべきは彼らの心の中にある非人権的な部分のみであって、全体ではない。日本でも、在日している外国人に尋ねれば、多くの惨いエピソードがでてくるだろう。しかし、同様に彼らを支えている日本人もいるはずである。そう切に願う。日本に帰国したら、在日している外国人に、やさしく声をかけようと思う。

写真1

町1町2

町3自転車

ボーンマスの町並み、空港から見た空、俺の自転車

家俺の部屋

ロンドン1ロンドン2ロンドン

ヒースロー空港で迷子☆

国を突破し、さっそうと到着ロビーへ。ついについにイギリス到達。何とか俺もここまで来ることができた。しかし、その達成感が徐々に消えていった。手配しておいた出迎えドライバーが、どうしても見つからないのだ。着いて早々、大ピンチ。ほんとはすぐにステイ先までスムーズに連れて行ってもらって、ゆっくり休むはずだったのに。ケータイ持ってないし、日本語話せて相談できそうな人は見当たらない。

し出迎えが見つからなければ、ロンドンから自分でたどり着かなければならない。朝から予期せぬ戦いが始まった。自分で行くとしたら、どうやって行くのだろう。行き方がわかったとしても、今日中に着けるだろうか。着けなかったら、どこに連絡しないといけないのか。不安が不安を呼ぶ。結構、似たような出迎えのボードを持った人がいて、しかも次々と入れ替わってくから、一時間くらい探してみる。重たいトランクをゴロゴロ転がしながら歩き回る。目に入るのはすべてアルファベットで混乱してくる。

すが海外ひとり旅。こんなに動揺したのは久しぶり。人はほんとに困ると、呼吸ができなくなっていくと実感。まさに苦しかった。ひとりで探していても埒があかなく、学校のオフィスに電話をかけてみようとする。でも、かけかたがわからない。誰に聞いていいのか、その英文もあせって浮かんでこない。こういう難題は外国生活の後半で出題していただきたい、と神様につっこむ。到着後速攻はないよ。日本では味わえないつらい困難を求めて来たわけだけど、そうわかってても、泣きたくなった。いきなりすぎるでしょ。

話はしばらく、他人がかけるのを観察。まず受話器を上げるらしい。次にクレジットカードを入れてみたけど、反応せず。隣にいた日本人らしきアンちゃんは簡単そうに英語で話し中。対照的。俺の操作が悪いのか、もともと使えないシステムなのかわからんっ。そのアンちゃんは福山雅治似で外国慣れしてそう。不安げなニホンジン英語を聞かれたくなかったから、わざわざ彼から見えない電話に移動。しょうがないから、ポンドでやろうと方針転換。でも札はあっても小銭なんてまだ持ってない。持っていたドル札を両替してなんとかコインをゲット。けど、コインには様々な数字に加え、ポンドとペンスって彫ってある。どっちが高い位だっけか。1ポンドが何ペンスで何円だっけか。お金については後でゆっくり調べるつもりだったのにな。頭がクラクラ。今はがんばらないといけないときなんだ、自分よ。しょうがないから入るほうのコインを適当に入れてダイヤルを押す。やっとかかった!かけた相手はイギリス人だから、英語でしゃべらなきゃ。こんなケース、受験英語で習ってないよ・・・。電話口の英語って難しいって噂だぞ。

もなんとかなるもんだ。緊張より増して、助けてもらう切望があったからかな。状況をわかってもらえ、ドライバーに連絡をとってもらえたようだ。放送でなにやらトダァカと聞こえ、指定された場所にいってみると、やっとやっと出会えました。そのときはドライバーに後光が。計二時間の呼吸困難に終止符。ドライバーも入国の記録とか確認したりして探してくれていたそうだ。彼はI got him!!と嬉しそうに電話していた。サンキューフォー、ゲァットィングミー!とお礼して笑いあった。成田からの長い冒険を終え、やっと見方の馬車にかくまってもらえた気分。これはイギリス時間早朝六時から八時までのお話。

入国審査☆

 国審査ではアラブ系で鼻にピアスしたお姉さんが対応。パスポートの顔と生の自分を何度も何度も見返しチェック。うわ、あやしまれている。行き帰りのエアチケット、入学証明証とステイ先住所を提出。いきなりレシートは?と聞かれ、困る。始めはレシートという英単語の発音を聞き取れず、何度もソーリィ?と聞き返す。ああ、授業料の領収証で信用度をみたいのか、とわかった頃には、お姉さん不機嫌顔。そんなの手持ちで持ってなかったから、正直にトランクの中と答える。誰がお金を出したのか、なぜ領収証を今持ってないのか、と怖い顔で問い詰められ困る。ほんとに授業料を払ったのか、すごくこだわっている。レシートが要るなんて知らなかったと、言うと、じゃあいくら払った?と聞かれる。その金額を言おうと思ったら、その値の単語が出てこない。言葉に詰まる。今言えなかったら入国できないかも。どこか個室に連れて行かれたらこわい。あせるとますます混乱。しょうがないから、ペンを貸してもらい、---yenと書いて、どうだ!と差し出す。すると面倒くさそうにパスポートを返された。良かった。サンキューと笑ってみたが、反応は無愛想。

 う泣きそう。むこうは仕事だけども、怪しまれるのはほんとに嫌。俺が入国すると迷惑?正直、帰りたくなった。困難を乗り越えて自分を成長させるために来たんだ。そう思い直す。いつも物事を突破するとき、つらいのは最初だけ。二回目には慣れて余裕が出てくるものだから、と自分を励ましながら。税関はこんなもんだと思えたから、次はこの基準で考えられる。もう同じ対応を受けても落ち込まないもんね。

日本語ってさ☆

田からの6時間、香港から12時間、もう夜が明けてもいいものなのにちっとも明かない。長い長い夜。寝ても寝ても夜。やっとヒースローに到着。飛行機を降りイギリスの土地を踏む。アラブ系の客室乗務員におじぎをすると、それで日本人とわかったのか、アリガァトと言ってくれた。久しぶりの日本語。しみた。その一単語が満面の笑みをもたらした。

っと日本語、母国語というものは、脳内にインストールされたソフトウェアという、単なる電気信号の集まりを超越している、と思うのだ。俺たちは、言葉を通して、ふるさととつながっている。原稿用紙何枚分もの思いが詰まった、ありがとう、という言葉を受け取り与えた経験があるだろう。チョムスキー氏がいうところの「言語習得装置」は、単純な言語の情報だけでなく言葉を覆うものも習得させるのだろう。ありがとう、という言葉。感謝の意、という意味のデータ情報の背後に広がる日本。ふるさとを背負った言葉たち。サンキューとありがとうでは、それぞれに異なる、ふるさとの膨大な情報が凝縮されているのだ。アルザス・ロレーヌ地方の言葉の悲劇、日本が戦時中にした惨い同化政策、今なら前より共感できる。自分の母なる言葉を大切にしていきたい。その気持ちが、他国の言葉も大切にすることにつながるだろう。