月刊ビオラ~Shimpei特集記事~ -4ページ目

倫敦2☆

 エストミンスター駅に到着。長いエスカレーターを上がり、地上の世界に出る。まぶしくて、目がくらむ。狭く息苦しいチューブの上には、真っ青な大空と人々の喧騒が広がっていた。街並みを見渡すと、いきなりビッグベン。目に飛び込んできた。イギリスの国会議事堂、ロンドンのシンボルである時計塔だ。今まではテレビの中で見慣れた存在の建造物。でも画像として見慣れているはずなのに、今、感じる違和感。それを実際に眺めてみると、頭のなかのイメージと目の前の実物が喧嘩するのだ。こんなに巨大で、威厳を感じさせるものだったとは。背後から突然Mr.ビッグベンに驚かされちゃった気分で、なんだかわくわく。   

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 こに来たのは、テムズ川を船で観光しながら下り、タワーブリッジまで行くのが目的だ。チューブの駅からすぐそばの河川敷を歩き、船着場に行く。ちょうど良い時間の便があり、急いでチケットを購入。船の二階は屋根がなく、あそこに乗りたいっ、と友達を誘う。ドゥオックンゥ。いきなり思った以上に揺れながら発進。船が爽やかな風を切って進む。きらきらと、イギリスでは貴重な日光がとっても心地よい。まだ何も見ていないけど、こう感じられただけでも乗って良かったと実感。気持ちいいから背伸びをし、広い空を見上げれば、飛行機雲のプレゼント。思わず笑顔。その進行速度はかなり速く、だから急いでカメラのファインダーに入れる。まるで流れ星。白い帯をひらめかせている。昼間の流れ星。その先端に何百人もの乗客が居るなんて信じられない。人工の流れ星。それは広大なロマンがあって、あまりに美しいから、ふと、大自然が造りだす現象のように思えてしまう。しばらく眺めていると、空の先のほうへ消えていった。

 ッグベンにさよならをし、30分の船旅。

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 現代のロンドンのシンボルになりつつあるのは、ロンドン・アイ。「ロンドンの瞳」という名の超巨大観覧車だ。世界最大級。ミレニアムを記念して造られたそうだ。ひとつのゴンドラに十数人が乗る。料金はたしか11£(約2200円)で行列を覚悟しないといけない。お金と時間に余裕があるときに乗ってみたいものだ。船は何本も巨大な橋をくぐる。それは無味乾燥なコンクリートだけでなく、きれいに彫刻が施されている。パステルカラーを多用しているところが和ませる。川沿いの建物は石造りの荘重なものから、近代的なガラス張りのものまで様々だ。日本とは異なる感性や価値観がおもしろい。テムズ川自体は相当汚く、濁っている。産業革命時のそれはかなりひどかったんだろうと想像する。イギリスは環境対策が進んでいるといわれているけど、今でもロンドンの汚さを嫌うイギリス人は多い。ロンドンの水は飲まないほうがいいと言われている。ロンドンに住む人たちは、休日にボーンマスなど南へ新鮮な空気を吸いに来る。

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  ワー・ブリッジに到着。かなりきれい。水色と青色のデザインが気に入った。タワー・ブリッジを背に写真をみんなで撮り合ったり、他の観光客に撮ってもらう。写真に自分と被写体を収めれば満足。観光地で写真を撮って帰るだけの日本人。学校の授業で、その日本人の習性が英語の例文になっているほどだ。でも、そうはわかっていても止められない。記念にパシャ。またパシャッ、パシャ。

 お昼を食べに中華街へ移動。そのすぐそばに日本人街と呼ばれる一角がある。中華街と比べてもとても小規模。日本に韓国と中国とイギリスが混じったような街。だから日本人街と言われても、あまりピンと来ない。けれど、ニッポンに飢えている俺たちは少しでも日本のものを発見するたびに叫ぶ。おぉ、かっぱえびせん!おぉ、味噌汁!おぉ、回転寿司!おぉ、醤油!おぉ、ブルドックのソース、おぉ、とんがりコーン!おぉ、マンガ!お昼ごはんは、日本食の食堂に入った。中は日本のつくりで、ちゃんと日本茶が出てくる。日本人の店員さん。日本の箸。日本の湯のみ。違うのは、入ってまず「How many?」ときかれたことと、箸袋に箸の使い方が描いてあったことぐらいか。俺は味噌ラーメンをオーダー。この味付けが懐かしくて懐かしくて。これを読んでる人は決して懐かしくないだろうけれど、わかってください、この感動。

 わりには、イギリス人や他のアジア人に混ざり、日本人がけっこう居る。こんなに多く日本人を見たのは二ヶ月ぶり。ここまで多く日本語をしゃべり聞いたのも二ヶ月ぶり。日本の空間に入ったのも二ヶ月ぶり。だから、自然と頭をかしげる。あれ?なんかおかしな気持ち。なんだか頭が気持ち悪い。ここってイギリスだったっけかな。錯覚を起こす。この街は感覚を麻痺させる。まるで、ニッポンへおいで、と誘ってくる磁石だ。店を出るとまたイギリスの街並みにカムバック。奇妙な世界に、迷い込んだような感覚。お腹はニッポンでいっぱい。

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倫敦1☆

5月28、29日


 ロンドン旅行。

 7時発の長距離バスに乗るために、朝五時に起床。昨日はオケの練習が夜九時半まであったから、寝るのが遅くなり、眠い。ホストを起こさないよう、静かに朝食をとって、体を覚ます。日本人の友達二人と行く旅行。前に一度、学校の遠足みたいなのでロンドンに行ったが、全然時間が足りず、今度は泊まりで行くことを待ち望んでいた。最初はひとりでチャレンジしてみようと思っていた。日本人だけで行動するのが好きではないから。わざわざ日本人が少ない街にやってきた意味が薄れるから。でも、色んな情報を持った人たちと行くことで、旅行の幅が広がるかも、と思い直した。今回はイギリスの中のニッポンを満喫してこよう。英語のお勉強は一休み。リフレッシュ。

 刻しそうだから急いで家を出る。朝からダッシュか、と思いながら小走り。ボーンマスは残念ながら曇り。早朝のにおい。引き締まる。お、やばい。かばんの中に学生証が見当たらない。もう、準備不足な自分、困る。家に逆小走り。机の上にも見当たらないから、かわりにパスポートを厳重にかばんにしまう。ID認証のためだ。月と星がさりげなくデザインされているお気に入りの腕時計を見ると、時間がないよっシンペイ、という現実を突きつけられた。また小走り。こんなギリギリさを反省しつつ、つらい状況をうまく乗り切っていくのを、実は心のどこかで楽しんでいるのであった。という余裕さも、いよいよなくなってきた三十分後、やっとあせりだす。バスに乗り遅れたら、しゃれにならない。道路を息を切らして走っていると、一台の車が自分を追い越し停まるのが見えた。直感で、救いの天使だとみた。駆け寄ると、車内には友達と、そのホストマザーが。天使の乗り物に揺られ、パスストップに到着。気づいてくれて、笑顔で助けてくれて、ありがとうございました。

 スで三時間、北海道のような広大な高原を抜ける。緩やかな起伏がすべて緑。といっても、北海道には一度も行ったことないんだけどね。普通に馬や羊や牛が、放牧されていて感動。一面の緑の上でくつろぐ動物たちって見ていて気持ちよい。雲はしだいに薄くなり、これまた気持ちよく晴れてきた。高速道路を降り、徐々に市街地へ。石造りの巨大都市という風貌。町並みは歴史を感じさせ、石のマンションには細かな彫刻。バスはやっとヴィクトリアにあるコーチステイションに到着。東京並みに人がいる。街をゆく人々は国際的だ。そこで友達の友達とおち合う。ロンドン大学で歴史を学んでいる日本人学生だ。昼二時まで案内してくれるそうだ。ボーンマスに住む俺たちはポカーンと喧騒を眺めざるを得ない。彼は容易く駅内の放送を聞き取り、バスとチューブ(地下鉄)共通の一日乗車券を案内してくれた。俺は駅の自動改札はイギリスに来て初めて。どきどきしながらカードを入れ、出てきたカードを極端に凝視しながら取る。スピードが速い都会では、要領を得るまで大変だ。

 んな駅構内で見つけた、驚きの一品。

              sushi  

 店「WASABI」にある「SUSHI」だ。観察していると、けっこう人気。意外に欧米人がかなり買っていく。寿司はほとんどのイギリス人が知っている。とても高価な日本料理の代表として。そんなイメージの中、こうして安く小売してるのはナイスアイデアだ。フィシュandチップスもテイクアウェイ(テイクアウト)が一般的。ここはサンドウィッチを発明した国。だから、こう気軽に持ち帰れて手で食べられるのが良いのかなと思う。久々に日本を見た気分で、故郷を感じてじんときた。日本でたとえば「かっぱ寿司」を見ると、食欲をそそられるだけ。全く違った感覚だ。自分がどこに居るかで、同じものでも、違って見えるのって不思議で神秘的。寿司ネタご飯と一緒にふるさとが詰まっているのだな。

   車内  s

 前11時、ヴィクトリア駅からチューブに乗ってウエストミンスター駅へ向かう。チューブは日本の地下鉄よりずっと小ぶりだ。俺の身長でも窮屈に感じるから、一般的に体格が大きいヨーロッパの人たちはたいへんだろう。日本をウサギ小屋と揶揄するならば、チューブはウサギ列車に違いない。歴史的な町並みの地下には、チューブが縦横無尽に走っている。2、3分に一本だから、東京のそれよりも多いかもしれない。Circle lineという路線はエリア1と呼ばれるロンドン中心地のまわりを走っている。加えてCentral lineはそれを東西で結んでいる。山手線と中央線だ。大阪環状線と東西線だ。

 ンドンというメトロポリスはどこか未来的なものを感じさせる。それは、日本より進んでいるからではなく、今まで慣れ親しんできた日本の大都市とは違う異世界だから。未来、という意味は「ただ時が過ぎていく」というだけではなく、「今とは別の、もうひとつの世界」という願いが込められているように思った。

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コンサート・Bournemouth Symphony Orchestra☆

こんさーと  konnsa-to sonnsa-to2

プロオケのコンサートを観に。ビオラ演奏者が入場してきたときには、感動。異国の地で、つながりを感じて。俺もビオラやってるんです!と言いたくなった。目を輝かせていると、となりに座ったおじさんが、どこから来た?とか、お前はプレイヤーか?とか話しかけてくれた。インターバルでは、楽しんでる?とか。帰るときには笑顔で握手してくれ、奥さんは「サヨナラ」と言ってくれた。言葉以上の交流。嬉しい。

Shostakovich No.6     List   Weber

Beethoven Piano Concerto No.1, etc

プリン☆

5月6日


オラという楽器は不思議だ。

して華やかではないのに、人の心を惹きつける。聴衆には届きづらい音色だが、三百年以上、同じ形を留めている。作曲における使われ方は、単なる伴奏楽器としてではなく、したたかに主張を強めている。三百年前のバッハ、二百年前のベートーベン、百年前のラフマニノフ。それらの楽譜を弾いていると感じる、それぞれの使命。戦後、ようやく世界的なビオラ・ソリストが活躍するようになった。彼らのために新たに曲が贈られ、または過去に埋もれていた曲が発掘されている。これからの楽器。その響きに託された未来。秘められた可能性。

 は、マイナーでも、少数派でも、目立たなくても、ちゃんと頑張っている、そんなビオラが大好きだ。謙虚でいて個性的。ここぞというときには、驚くような艶のある音色で心を震わす。ここぞというときではないときでも、他楽器に影響や刺激を常に与えている。華やかなところは他楽器に譲っておきながら、実はオケを手のひらで転がしている。というのは願望か。ビオラにもっと光を与えたい。俺と気の合う、この大切な相棒に。

 棒と共に旅してきた、この留学は「コミュニケーション」や「成長」が目的である。英語力はその礎であり、ツールでもある。そして、もうひとつの道具が、このビオラだ。

 日は今期の最終授業日。来週からは、新しいクラスに振り分けられる。レベルアップできるチャンスであり、今までの仲間や先生と離れる別れのときだ。先日、クラスで話し合い、特別に今日は授業時間に「センター」と呼ばれる街に出ることに決めた。その前日になって、ふと俺はビオラをみんなに聴いてほしくなった。容赦なくスピーディに話しかけてくれ、今では受け入れてくれているクラスメイト全11人と、いつも元気に「Well done, Shimpei!!」と声をかけてくれる先生に。この語学学校に日本人は4人のみで、もちろんクラスには俺1人の日本人だ。クラスメイトは皆すでに何ヶ月も滞在している人たちで、俺はその中に放り込まれた。しかも年上がほとんど。思惑通りなのだが、「留学前の自分、よくもツライことしてくれたねぇ」と思うほど、始めは憂鬱だった。そんな心細い環境を楽にしてくれたのが彼らであるから、感謝を贈りたかったし、もっと俺を知ってほしかったのだ。

夜、その思いに反して、俺の引っ込み思案なとこが作動。まだ行く場所も確定してないから、弾く環境にできるか分からない。弾ける環境だとしても、その時間を取ってくれるか分からない。どうその状況に持っていったらいいか分からない。弾くつもりで行ったのに弾けなくて帰ってくるのはつらい。みんなが期待してくれなかったらもっとつらい。ビオラをいきなり持っていって弾くなんていう、目立ったことをして、奇異な目で見られたら嫌。上流階級ぶってる、とか、自慢してる、とか思われるだけだったら嫌。ビオラを持っていかないほうが、よっぽど楽ちん。でも、聴いてほしい。この日が最後にして絶好のチャンスだ。そんな葛藤を、ビオラを見つめながら続けた。結局、朝の気分次第で、ということに決め、眠りについた。

日の朝、お腹が少し痛む。日本から持ってきた薬を飲む。家を出る直前の五分前、まだ決められない。もういいや、無難にやめておこう、と決めたと思ったら、まだ何か心に引っかかる。すっきりと諦めきれない何か。それは後悔してしまう可能性。出発一分前、もう遅刻しそうなときに、ついにアウフヘーブンが生まれた。持っていって弾くというテーゼでもなく、置いていって弾かないというアンチテーゼでもなく。こう難しく考えてしまうのが俺の短所であり、長所でもある。その解決策は、持ってはいくが弾くかどうかは状況判断、というもの。これを思いついたとき俺って賢いなって思ったけど、この普通な考えにたどり着くのにどれだけかかったのだろう。

まり、始めからこのチャンスを放棄すれば、後悔する。かといって、いきなり弾くというのは気が引ける。だから、夕方から練習があるように見せかけ、さりげなく持っていくことに決めたのだ。たとえ弾かずに帰ってきてもカッコ悪くないし、休み時間に見せて話題を広げるだけでも価値はある。もし、弾いてほしいと誰かが言ってくれたときだけ、弾こうと決めた。そうすれば、謙虚でいられる。期待は自ずとされる。状況をともに作ってくれる。

して最後の決め手は、この留学の目的である。俺は、ただ単に英語を勉強しに来たのではない。自分に課した挑戦なのだ。留学は外から見るとそれだけで輝いて見えるが、内実いくらでも無難にできる。自分次第なのだ。これだけの時間とお金を自己投資しているからには、英語力だけでは物足りない。ビオラを使って、音楽の力を借りて、コミュニケーションを深めたい。音楽の可能性を追求したい。自分の可能性を模索したい。もし、成功すれば、将来につながる経験になるかもしれない。そんな、状況予測の計算を1分で高速処理する。勢いよくビオラを背負い、家を出た。

転車で学校までの20分間。背中に感じるビオラの重さ。俺が感じている不安と期待の重さ。心地よい重量感。風をきる道中、なぜか、いつもより清々しかった。わき道の新緑が、輝きながらびゅんびゅんと過ぎていく。集合時間を1分過ぎてしまったころ、学校に到着。遅刻して置いていかれたら、自分は笑えない笑い話になってしまう。だから急いで教室にむかう。まわりはまだ早朝の静けさがあり、自分の足音と、心臓の音が聞こえる。ビオラを持っていると目立つから、なるべく「これ、普通の荷物ですよ」ふうに装う。「ぜんぜん動揺してませんよ俺は。るんるん」と自分に言い聞かせているとこが、るんるんではない。

室のドアをゆっくりと開ける。さりげなさを装われたビオラと、みんなが初対面。俺にとっては、顔に出さない緊張の一瞬。果たして「弾いてほしい」と言ってくれるだろうか。という心配をよそに、開口一番「Hi Shimpei. Is it your instrument? Oh, you’re playing it in the centre! Yeah.」嬉しかった。最近授業で復習した「近い未来、かつ決定済みの未来」を表す現在進行形だ。俺が弾きたいかどうかは論外で、弾くんだ弾くんだと言ってくれる。みんなビオラに注目してくれ、次々とハイテンションな声をかけてくれた。ノリの良いスペインなまり英語やアラビアなまり英語や韓国なまり英語や台湾なまり英語。心地よかった。

室を出発する前に、事前にみんなで2£ずつ出し合って買ったプレゼントを先生に贈る。絵画とマグカップ、お礼やメーセージの寄せ書き。サプライズ。先生は「パーフェクト!私の好きな色。ちょうどこんなのがベットルームにほしかったのよ。でもなんで、それが合うって知っていたのぉ?(先生のジョークにみんなで笑う) みんなは特別な生徒だ。私はただ与えるだけではなくて、たくさんのことを受け取ったのよ。グットクラス!」と言って喜んでくれた。みんな嬉しい笑顔。

空の下をみんなで歩く。イギリスでは珍しい晴天が話を弾ませる。巨大な公園の緑を通り抜ければ、センターに到着。まずはデパートの中にあるカフェに入った。しばらくトークの時間。韓国の友達が写真を見せてくれた。その後、みんなで伝言ゲームをやって遊んだり、写真を撮り合ったりした。笑いが絶えないクラスメイトたち。

時間くらい経ち、アラブの友達が「ここで弾け」と話を持ちかけてくれた。俺は外で弾くつもりだったから驚く。ここは他のお客さんもいるところだ。その友達に乗って先生は「もし弾いてくれるなら、店員に許可を取ってきてあげるわよ」と言ってくれた。俺がまだ決心しきれないでいると、突然「Shimpei, Shimpei, Shimpei・・・」のコール。みんな大声で乗せるから、この状態のほうが恥ずかしい。「わかった、わかった、では日本の曲を弾きますね」と言うと、みんな俺に拍手のプレゼント。

意識に手が震える。楽団の定期演奏会ですら緊張しなくなったのに。韓国の友達に楽譜を持ってもらい、「君をのせて」(天空の城ラピュラ)を弾いた。はじめは小さめの音でやさしく。盛り上がるにつれて大きな音で力強く。感謝の気持ちを弓に込めて。弾いている最中、まわりの喧騒が徐々に消えていくようだった。リタルダンド(徐々に遅く)して響きを残し、弾き終わる。クラスメイトの拍手。「Great!」の声。そしてなんと他のお客さんからも拍手が。俺が没頭してまわりの雑音が聞こえなくなったのではなく、他のお客さんも聴いていてくれていたのだ。アンコールがあり、遠慮していると、また「Shimpei」のコール。結局、テレマンのビオラ・コンチェルト最終楽章とアメイジンググレイスを弾いた。みんな暖かい。席に着きコップを持つと、まだ手が震えていた。

のカフェをあとにし、近くのビーチに向かう。歩きながら、先生の妹さんは音楽の先生であるという話をしてもらった。ビオラ・ダ・ガンバのような古楽器を趣味でやっているらしく、話が広がった。みんなも「いつから始めたの?」とか聞いてくれ、俺は嬉しい。ビーチに到着。空が青いから、海も青い。きらきらと太陽光が波に反射。気持ちの良いビーチでまた写真撮り合い大会。またビオラを弾いてといわれ、写真を撮ってもらった。今度はみんなにビオラを貸して、体験をプレゼント。こう弾くんだよというと、嬉しそう。興味津々。楽しそうにカッコつけて、写真を撮ってもらっていた。

ーチのあとはセンターに戻り、別のクラスの人たちがいるカフェに向かった。そのクラスの担任は今日が誕生日だという。だから俺たちのクラスで相談し、いきなりハッピバースデーの歌を歌って驚かすことに決めたのだ。カフェは二階にあり、彼らはそのテラスに座っていた。そこで、外の歩道から見上げ、その担任を呼び、歌をいきなりプレゼント。公衆の面前でやっても不自然にならないからすごい。歌い終わって、そのクラスに合流。テラスから中に入り、二クラス分の輪になって座った。

たアラブの交渉上手な友達が、今度は、例の担任にビオラを弾いてあげてくれ、と言ってきた。ビオラが役立てる嬉しいお願いだったから、笑顔でオーケイ。「あなたの誕生日のために弾きます」と言って、またテレマンを弾いた。他のクラスの人たちも、ビオラを珍しそうに見てくれていた。弾いていると何やら店員が先生のほうにやってきて耳打ちしていたから、やばいかなと思い、早めに弾き終えた。その担任はお礼と握手をしてくれ、その曲名などの話を交わした。喜んでもらえて光栄です。

に着くと、後ろにいたインド系と思われるイギリス人女性が話しかけてきた。話を聞いてみると、なんとプロのヴァイオリニストだった。俺も二週間前にコンサートに聴きに行ったことのあるプロオケに所属していた。つまり、プロの前でビオラを披露してしまったのである。もしも始めからそのことを知っていたら、堂々とは弾けなかっただろう。どこの国から来たか、プロになりたいのか、今なにをしにイギリスに来ているのか、など尋ねられた。そして、ビオラの腕は、「Good」という評価をもらった。お世辞かどうか分からないが、悪くはないのは確か。「Thank you」とお礼を言い、偶然の出会いに感謝した。

を出るときには、店員の兄ちゃんが「おまえのビオラ、俺は気に入ったぜ」と目を輝かせながら言ってくれた。上司には内緒だけどね、といったかんじで。ありがとう。

の後は学校に帰ってランチ。午後の授業は平常どおりに行われた。午後はスピーキング中心の授業。午前の担任の先生とは別の先生が受け持っている。授業中、午前どこに行っていたかの話になり、その先生に説明した。俺のビオラの話をクラスメイトがしてくれ、その先生は「俺は聴いてないぞ。聴かせなさい」と言ってきた。俺は、今日弾くの何回目だっけ、と思いながらも、かるくベートーベン第九のメロディーをハイポジション(高音)で弾いた。先生は第九を口ずさんだ後、「おまえのバイオリン、いい音だねえ」と誉めてくれた。ん?バイオリン?よくある誤解。俺が、まあバイオリンでもいいかと思った瞬間、「No the viola!」の声、声、声。俺ではなく、みんなが訂正してくれたのだ。ビオラの大きさの説明まで、クラスメイトがまるで自分のことのようにしてくれた。ビオラの知名度もここまで上がったか。

 業が終わり、廊下を歩いていると、別の先生が「さっき職員室でおまえの話を聞いたよ。ウェル・ダーン」と声を掛けてくれた。友達は「あなたは今ではスーパースターね」と誉めてくれる。

オラに光を与えるどころか、ビオラが俺に光を与えてくれたのだ。


 

ドリーム☆

 

4月23日

が、叶い始めた。ついにイギリスでオーケストラに所属できたのだ。西欧のクラシック音楽が生まれた、ここヨーロッパで共に奏でる。なんて素敵なのだろう。ここが本家本元の場。バッハやチャイコフスキーやエルガーやリストや・・・数え切れないほど多くの作曲家と近い感覚を継承している風景、空気、文化、人々。その中で、日本で磨いてきた感覚を携え、挑戦する。そして語学学校以外の場で生の英語に接するチャンスを作りたかった。きっと、今まで頑張ってきたビオラを武器に、好きな音楽を媒体にすれば、素敵なコミュニケーションがとれる、ということを期待していたのである。この夢が俺をイギリスに向かわせ、その空想が今日、形を現し始めたのだ。

っかけは偶然に訪れた。運命的である。先日、道に迷い、自転車で地図を見ながらうろうろしていると、眼前に楽器屋が現れた。そこに「Dorset Philharmonic Orchestra弦楽器・楽団員募集」の張り紙があったのである。俺のために導いてくれたようなものである。もし道に迷わなければ見つからなかっただろうから。以前からオーケストラを探してはいた。ホストファミリーや学校の人に聞いてみたり、近所の大学やプロオケのホームページをチェックしてみたり。でも見つからず、次の手を考えあぐねていたところだった。

ストにその張り紙の写しを見せると、連絡先に電話してやる、と即座に提案してくれた。この力強い見方に甘え、電話してもらった。すると、練習に参加していいよという返事。ただ問題は車がないと行けないことであった。後日、また連絡をくれ、同じ方向の人に乗せていってもらえるよう手配してくれた。さらに連絡があり、その日は、つまり今日なのだが、コンサートの当日だという。驚いた。なんて寛容なのだろう。まだビオラの腕も確認してないのに、楽譜は初見なのに、俺の声さえも聞いていないのに。礼服は、日本から来てきっと持ってきていないだろうから、黒っぽいのならいいよ、とまたすごい。ノープロブレムだって。そして今日、数時間のゲネプロ(リハーサル)に参加しただけで、本番に出てしまった。なんという恩恵か。信じられない。

場に着くと、そこは緑林の丘に佇む学校であった。小さめな、演劇や音楽用のホール。何の曲が弾けるのか、どんなメンバーなのか、緊張と興奮を抑えながら、ホールに向かった。近づくにつれ、遠くから聞こえてくる管楽器。オーボエやフルートだろう。日本のオケで耳にしていた懐かしい音色。その幾つもの音の重なりは、俺を導いてくれているように、やさしく響いていた。

ールの中に入るとコンダクター(指揮者)が迎えて握手してくれた。このおじさまが色々お世話してくれていたみたい。館ひろしをもっと年取らせて接しやすくしたような、声色と外見。寛容さは彼の大きな懐に由来しているのだと実感した。彼の指揮振りを見ていても、その冷静さや寛大さが伝わる。ビオラの席に座ると、すぐにビオラトップのおじさんが笑顔で話しかけてくれた。自己紹介し終わると、今度は後ろのコントラバスのおじさんがニーハオ!とあいさつ。俺は日本人なのだけど、いちおうニーハオ!と返しておいた。話を聞いてみると、中国で英語の先生をしていたそうだ。彼に誰かが、ビオラの中国人が来た、と言ったらしい。俺でも、語学学校で日本人だか中国人だか韓国人だか区別できないことがあるから仕方ない。

は、デリウスという人の二曲、Rシュトラウスのオーボエ協奏曲、ベートーベンのオーバーチューン・クリオラン、メンデレスゾーンの4番。初見の一回目は楽譜を追うので精一杯だった。だから休憩時間にも練習し、エアー・ボウイング(弾けているようにごまかす技)を駆使し、何とかゲネと本番を乗り切った。このときほど立命館大学交響楽団での苦労に感謝したことはない。ホストファザーが、本番前にお腹が空くといけないから、と持たせてくれたサンドイッチのお陰でもある。

習中、コンダクターが指摘することや、プレイヤーが陥るミス、アマチュアオケの弱点は日本とさほど変わらなかったのが内心嬉しかった。もっと嬉しかったのは、ビオラがやっぱり少なかったことだ。あまり笑えないが。違うのは雰囲気だろうか。何度も、楽しんでいるか?とか、楽しもう!とか声を掛けられた。きちんと弾けた?とかは二の次。とにかく楽しんでいるかが彼らの第一条件であるようだ。楽しかったよ、と答えると、それを聞いて安心した、という笑顔を見せてくれる。

りは、例のコンダクター、デイビット・ジョンに車で送ってもらった。運転中、少し話をした。六月に次のコンサートがあり、来週から毎週金曜、練習に参加させてもらえることになった。車次第だが。次はチャイコフスキー、プロコフィエフ、ラフマニノフをやるそうだ。時期がちょうど良く、曲目すべてが俺の好きな作曲家なので驚いた。今日は初見で大変だったと言うと、事前に練習できるように楽譜を送ってあげるよ、と返してくれた。

乗した女の人が、何のために英語を勉強しているの?と尋ねてきたので、日本で仕事を見つけるためだ、と答えた。ほんとはそれだけじゃないけど、今の英語力では説明できない。すると、ジョンは「おまえは、このオケにずっと居るから、日本で就職できないよ」と嬉しいジョークを言ってくれた。女の人は続けて、こんな話をしてくれた。「ここに居るジョンの息子がね、今ギリシャに留学しているのよ。彼がそこで犬を買って、ジョンのところに送ってきたの。なんと飛行機で来たのよ。その犬はギリシャ語しか話せないから、今、あなたのように英語を勉強中なの。」俺は大ウケ。車内があたたかい。俺が「じゃあ、違った発音なんだね。」と言うと、「そうなの、変わったアクセントをしているわ。」だって。

に着き、俺は彼らに、サンキューベリーマッチ、と何度も言うことしかできなかった。本当はもっと、このあふれる感謝の気持ちを言葉にして伝えたかった。とても、もどかしかった。ホストマザーに今日の報告をすると、とても喜んでくれた。ジョンがとっても親切にしてくれたことを伝える。すると、「彼とは、電話でしか話したことがないけど、あの声がとってもとってもジェントルだったの。きっと親切に違いないわ。」とマザー。彼の声の良さにふたりで共感し、話が盛り上がった。

語をもっと勉強して、親切にしてくれる彼らに、もっと自分のことを知ってもらいたい。もっと楽しみを共有したい。もっと感謝を伝えたい。日本語が俺にとって大切なように、彼らが大切にしている英語で。そんな素敵な動機を、夢とともに手に入れたのだ。