プリン☆ | 月刊ビオラ~Shimpei特集記事~

プリン☆

5月6日


オラという楽器は不思議だ。

して華やかではないのに、人の心を惹きつける。聴衆には届きづらい音色だが、三百年以上、同じ形を留めている。作曲における使われ方は、単なる伴奏楽器としてではなく、したたかに主張を強めている。三百年前のバッハ、二百年前のベートーベン、百年前のラフマニノフ。それらの楽譜を弾いていると感じる、それぞれの使命。戦後、ようやく世界的なビオラ・ソリストが活躍するようになった。彼らのために新たに曲が贈られ、または過去に埋もれていた曲が発掘されている。これからの楽器。その響きに託された未来。秘められた可能性。

 は、マイナーでも、少数派でも、目立たなくても、ちゃんと頑張っている、そんなビオラが大好きだ。謙虚でいて個性的。ここぞというときには、驚くような艶のある音色で心を震わす。ここぞというときではないときでも、他楽器に影響や刺激を常に与えている。華やかなところは他楽器に譲っておきながら、実はオケを手のひらで転がしている。というのは願望か。ビオラにもっと光を与えたい。俺と気の合う、この大切な相棒に。

 棒と共に旅してきた、この留学は「コミュニケーション」や「成長」が目的である。英語力はその礎であり、ツールでもある。そして、もうひとつの道具が、このビオラだ。

 日は今期の最終授業日。来週からは、新しいクラスに振り分けられる。レベルアップできるチャンスであり、今までの仲間や先生と離れる別れのときだ。先日、クラスで話し合い、特別に今日は授業時間に「センター」と呼ばれる街に出ることに決めた。その前日になって、ふと俺はビオラをみんなに聴いてほしくなった。容赦なくスピーディに話しかけてくれ、今では受け入れてくれているクラスメイト全11人と、いつも元気に「Well done, Shimpei!!」と声をかけてくれる先生に。この語学学校に日本人は4人のみで、もちろんクラスには俺1人の日本人だ。クラスメイトは皆すでに何ヶ月も滞在している人たちで、俺はその中に放り込まれた。しかも年上がほとんど。思惑通りなのだが、「留学前の自分、よくもツライことしてくれたねぇ」と思うほど、始めは憂鬱だった。そんな心細い環境を楽にしてくれたのが彼らであるから、感謝を贈りたかったし、もっと俺を知ってほしかったのだ。

夜、その思いに反して、俺の引っ込み思案なとこが作動。まだ行く場所も確定してないから、弾く環境にできるか分からない。弾ける環境だとしても、その時間を取ってくれるか分からない。どうその状況に持っていったらいいか分からない。弾くつもりで行ったのに弾けなくて帰ってくるのはつらい。みんなが期待してくれなかったらもっとつらい。ビオラをいきなり持っていって弾くなんていう、目立ったことをして、奇異な目で見られたら嫌。上流階級ぶってる、とか、自慢してる、とか思われるだけだったら嫌。ビオラを持っていかないほうが、よっぽど楽ちん。でも、聴いてほしい。この日が最後にして絶好のチャンスだ。そんな葛藤を、ビオラを見つめながら続けた。結局、朝の気分次第で、ということに決め、眠りについた。

日の朝、お腹が少し痛む。日本から持ってきた薬を飲む。家を出る直前の五分前、まだ決められない。もういいや、無難にやめておこう、と決めたと思ったら、まだ何か心に引っかかる。すっきりと諦めきれない何か。それは後悔してしまう可能性。出発一分前、もう遅刻しそうなときに、ついにアウフヘーブンが生まれた。持っていって弾くというテーゼでもなく、置いていって弾かないというアンチテーゼでもなく。こう難しく考えてしまうのが俺の短所であり、長所でもある。その解決策は、持ってはいくが弾くかどうかは状況判断、というもの。これを思いついたとき俺って賢いなって思ったけど、この普通な考えにたどり着くのにどれだけかかったのだろう。

まり、始めからこのチャンスを放棄すれば、後悔する。かといって、いきなり弾くというのは気が引ける。だから、夕方から練習があるように見せかけ、さりげなく持っていくことに決めたのだ。たとえ弾かずに帰ってきてもカッコ悪くないし、休み時間に見せて話題を広げるだけでも価値はある。もし、弾いてほしいと誰かが言ってくれたときだけ、弾こうと決めた。そうすれば、謙虚でいられる。期待は自ずとされる。状況をともに作ってくれる。

して最後の決め手は、この留学の目的である。俺は、ただ単に英語を勉強しに来たのではない。自分に課した挑戦なのだ。留学は外から見るとそれだけで輝いて見えるが、内実いくらでも無難にできる。自分次第なのだ。これだけの時間とお金を自己投資しているからには、英語力だけでは物足りない。ビオラを使って、音楽の力を借りて、コミュニケーションを深めたい。音楽の可能性を追求したい。自分の可能性を模索したい。もし、成功すれば、将来につながる経験になるかもしれない。そんな、状況予測の計算を1分で高速処理する。勢いよくビオラを背負い、家を出た。

転車で学校までの20分間。背中に感じるビオラの重さ。俺が感じている不安と期待の重さ。心地よい重量感。風をきる道中、なぜか、いつもより清々しかった。わき道の新緑が、輝きながらびゅんびゅんと過ぎていく。集合時間を1分過ぎてしまったころ、学校に到着。遅刻して置いていかれたら、自分は笑えない笑い話になってしまう。だから急いで教室にむかう。まわりはまだ早朝の静けさがあり、自分の足音と、心臓の音が聞こえる。ビオラを持っていると目立つから、なるべく「これ、普通の荷物ですよ」ふうに装う。「ぜんぜん動揺してませんよ俺は。るんるん」と自分に言い聞かせているとこが、るんるんではない。

室のドアをゆっくりと開ける。さりげなさを装われたビオラと、みんなが初対面。俺にとっては、顔に出さない緊張の一瞬。果たして「弾いてほしい」と言ってくれるだろうか。という心配をよそに、開口一番「Hi Shimpei. Is it your instrument? Oh, you’re playing it in the centre! Yeah.」嬉しかった。最近授業で復習した「近い未来、かつ決定済みの未来」を表す現在進行形だ。俺が弾きたいかどうかは論外で、弾くんだ弾くんだと言ってくれる。みんなビオラに注目してくれ、次々とハイテンションな声をかけてくれた。ノリの良いスペインなまり英語やアラビアなまり英語や韓国なまり英語や台湾なまり英語。心地よかった。

室を出発する前に、事前にみんなで2£ずつ出し合って買ったプレゼントを先生に贈る。絵画とマグカップ、お礼やメーセージの寄せ書き。サプライズ。先生は「パーフェクト!私の好きな色。ちょうどこんなのがベットルームにほしかったのよ。でもなんで、それが合うって知っていたのぉ?(先生のジョークにみんなで笑う) みんなは特別な生徒だ。私はただ与えるだけではなくて、たくさんのことを受け取ったのよ。グットクラス!」と言って喜んでくれた。みんな嬉しい笑顔。

空の下をみんなで歩く。イギリスでは珍しい晴天が話を弾ませる。巨大な公園の緑を通り抜ければ、センターに到着。まずはデパートの中にあるカフェに入った。しばらくトークの時間。韓国の友達が写真を見せてくれた。その後、みんなで伝言ゲームをやって遊んだり、写真を撮り合ったりした。笑いが絶えないクラスメイトたち。

時間くらい経ち、アラブの友達が「ここで弾け」と話を持ちかけてくれた。俺は外で弾くつもりだったから驚く。ここは他のお客さんもいるところだ。その友達に乗って先生は「もし弾いてくれるなら、店員に許可を取ってきてあげるわよ」と言ってくれた。俺がまだ決心しきれないでいると、突然「Shimpei, Shimpei, Shimpei・・・」のコール。みんな大声で乗せるから、この状態のほうが恥ずかしい。「わかった、わかった、では日本の曲を弾きますね」と言うと、みんな俺に拍手のプレゼント。

意識に手が震える。楽団の定期演奏会ですら緊張しなくなったのに。韓国の友達に楽譜を持ってもらい、「君をのせて」(天空の城ラピュラ)を弾いた。はじめは小さめの音でやさしく。盛り上がるにつれて大きな音で力強く。感謝の気持ちを弓に込めて。弾いている最中、まわりの喧騒が徐々に消えていくようだった。リタルダンド(徐々に遅く)して響きを残し、弾き終わる。クラスメイトの拍手。「Great!」の声。そしてなんと他のお客さんからも拍手が。俺が没頭してまわりの雑音が聞こえなくなったのではなく、他のお客さんも聴いていてくれていたのだ。アンコールがあり、遠慮していると、また「Shimpei」のコール。結局、テレマンのビオラ・コンチェルト最終楽章とアメイジンググレイスを弾いた。みんな暖かい。席に着きコップを持つと、まだ手が震えていた。

のカフェをあとにし、近くのビーチに向かう。歩きながら、先生の妹さんは音楽の先生であるという話をしてもらった。ビオラ・ダ・ガンバのような古楽器を趣味でやっているらしく、話が広がった。みんなも「いつから始めたの?」とか聞いてくれ、俺は嬉しい。ビーチに到着。空が青いから、海も青い。きらきらと太陽光が波に反射。気持ちの良いビーチでまた写真撮り合い大会。またビオラを弾いてといわれ、写真を撮ってもらった。今度はみんなにビオラを貸して、体験をプレゼント。こう弾くんだよというと、嬉しそう。興味津々。楽しそうにカッコつけて、写真を撮ってもらっていた。

ーチのあとはセンターに戻り、別のクラスの人たちがいるカフェに向かった。そのクラスの担任は今日が誕生日だという。だから俺たちのクラスで相談し、いきなりハッピバースデーの歌を歌って驚かすことに決めたのだ。カフェは二階にあり、彼らはそのテラスに座っていた。そこで、外の歩道から見上げ、その担任を呼び、歌をいきなりプレゼント。公衆の面前でやっても不自然にならないからすごい。歌い終わって、そのクラスに合流。テラスから中に入り、二クラス分の輪になって座った。

たアラブの交渉上手な友達が、今度は、例の担任にビオラを弾いてあげてくれ、と言ってきた。ビオラが役立てる嬉しいお願いだったから、笑顔でオーケイ。「あなたの誕生日のために弾きます」と言って、またテレマンを弾いた。他のクラスの人たちも、ビオラを珍しそうに見てくれていた。弾いていると何やら店員が先生のほうにやってきて耳打ちしていたから、やばいかなと思い、早めに弾き終えた。その担任はお礼と握手をしてくれ、その曲名などの話を交わした。喜んでもらえて光栄です。

に着くと、後ろにいたインド系と思われるイギリス人女性が話しかけてきた。話を聞いてみると、なんとプロのヴァイオリニストだった。俺も二週間前にコンサートに聴きに行ったことのあるプロオケに所属していた。つまり、プロの前でビオラを披露してしまったのである。もしも始めからそのことを知っていたら、堂々とは弾けなかっただろう。どこの国から来たか、プロになりたいのか、今なにをしにイギリスに来ているのか、など尋ねられた。そして、ビオラの腕は、「Good」という評価をもらった。お世辞かどうか分からないが、悪くはないのは確か。「Thank you」とお礼を言い、偶然の出会いに感謝した。

を出るときには、店員の兄ちゃんが「おまえのビオラ、俺は気に入ったぜ」と目を輝かせながら言ってくれた。上司には内緒だけどね、といったかんじで。ありがとう。

の後は学校に帰ってランチ。午後の授業は平常どおりに行われた。午後はスピーキング中心の授業。午前の担任の先生とは別の先生が受け持っている。授業中、午前どこに行っていたかの話になり、その先生に説明した。俺のビオラの話をクラスメイトがしてくれ、その先生は「俺は聴いてないぞ。聴かせなさい」と言ってきた。俺は、今日弾くの何回目だっけ、と思いながらも、かるくベートーベン第九のメロディーをハイポジション(高音)で弾いた。先生は第九を口ずさんだ後、「おまえのバイオリン、いい音だねえ」と誉めてくれた。ん?バイオリン?よくある誤解。俺が、まあバイオリンでもいいかと思った瞬間、「No the viola!」の声、声、声。俺ではなく、みんなが訂正してくれたのだ。ビオラの大きさの説明まで、クラスメイトがまるで自分のことのようにしてくれた。ビオラの知名度もここまで上がったか。

 業が終わり、廊下を歩いていると、別の先生が「さっき職員室でおまえの話を聞いたよ。ウェル・ダーン」と声を掛けてくれた。友達は「あなたは今ではスーパースターね」と誉めてくれる。

オラに光を与えるどころか、ビオラが俺に光を与えてくれたのだ。