響く気持ち | 月刊ビオラ~Shimpei特集記事~

響く気持ち

 の名は晋平。「晋」という漢字は、大昔にたどってみると「的と弓矢」を描いた象形文字なのです。「日」という的へ放たれた「↓」のような弓矢が見えてきませんか。「平」という漢字は、均衡のとれた状態を表しています。つまり、「争いのない世界へ突き進む」という、大それた名前なのです。ここで問題。ジャジャンッ。人と人が鍋を囲み、音を奏でる。さ~て、この状況を描いた象形文字は、どの漢字でしょーか。

 

 解は、「響」という漢字。まず、上半分「郷」の部分を、縦に三つ分解。三つのうち、両側の二つは、もともと二人の人間の姿でした。そして二人の間には鍋。よって「故郷」とは、誰か迎える人がいて、ともに食事を囲む場所なのですね。そして、「郷」に「音」が加われば、ヒビク。「響く」とは、言葉や音楽が、まるで故郷のように感じられることなのではないでしょうか。自分の奥底にある故郷、価値観、アイデンティティを共鳴させるのでしょう。



音譜この夏休み、私の心に響いた、三つのお話。





You should be not a taker but a giverビックリマーク


雨による水害。道路を危険な川に変えてしまう土石流。押し流されていく家。この七月に突然、長野県を襲った。十人以上が死亡。

は今、その災害現場へ向かう電車のなかにいる。早朝六時。こんな気持ちよく晴れ渡った青空のしたに、容赦なく不幸な現実がある。生まれ育った長野で困っている人たちを少しでも笑顔にできたら、私は幸せだ。災害復興のボランティアを通じて、現場を直に感じてみたい好奇心もある。

分がどれほど協力できるかもわからないまま、電車は走る。実際に行ってみて、何もできないかもしれない心細さ。一歩間違えば、逆に迷惑になってしまう不安。でも、「リスクをとって挑戦してこそ、成長できる。」「自分がもつ何かを与えてこそ、自分がもたない何かを得られる。」というのは、以前参加した国際教育プログラムUWPでの教え。


町の組織力UFO


時間経ったころ、駅に着き、そのころには心構えも完了。このボランティアの機会を紹介してくれた友達と、現地でおち合う。彼女もUWPで共に学んだ仲間だ。臨時に組織された災害復興所は元・大型ショッピングセンター。今日だけで、なんと約250人ものボランティアが集まっているそうだ。みんな黒く光る長靴を履いていて、タオルを首にまき、すでに戦闘モードだ。一方の私たちは、動きやすい格好であっても、スニーカーと明るい色の服で遊びに来たように見えてしまう。

育館のような復興所内に入ると、大きな文字で順路が示されている。まず名札コーナーで自分の名前や電話番号を登録し、名札を体につける。次にどの活動が適しているかのマッチングコーナーがあり、説明コーナー、道具貸し出しコーナー、水分補給コーナー、バスへと続く。休憩で帰ってきたときは、うがいコーナー、お昼ご飯コーナーへと誘導してくれる。このオーガナイズの素晴らしさは何に起因しているのだろう。この拠点をつくる準備時間は僅かだったろうに、すっきりとした論理性とあたたかな気配りに徹している。

コップ、マスク、軍手、新品の長靴を貸してくれ、熱中症にならないようにペットボトルの水を何本も持たせてくれた。遠くからよく来てくれたね、という元気なおばちゃんスタッフたちの笑顔もプレゼント。いくつかのチームごとに分かれ、大型バスに乗り込む。使命を任されたヒーローの心地。勝手にだけど。


初対面でも仲良くなるベル


の町で一番被害が大きかった区域に到着。大雨から一週間ほど経っていたが、未だに茶色の泥水が一部の道路にあふれて次々に流れている。見渡すと、大きな板を何枚も水で洗っている人たちがいた。不思議に思い、チームメンバーのおじさんに聞いてみた。その板は「床板」なんだそうだ。「床板」だったのだそうだ。家の床の上まで土石流が達してしまった実状がありありと見える。

たちのチームはまず、家の前にある水路の土砂をかき出す。とりあえずの応急措置だ。チームメンバーは10人ほどで、地元の小学校教師たちが多い。私とは全員が初対面。こんなとき、UWPでの体験が役立つ。一週間ごと異なる都市で、ホームステイと、現地の人と地域活動をしてきた。限られた時間と限られた言語を使って、いかに仲良くなるか。これが私の挑戦だったのだ。一緒に汗を流して、楽しさや喜び、悲しさや悔しさを共有することが仲良くなる近道。その振れ幅が大きいほど親密になれる。ともに水路の土砂をかきだし、同じ時間に休憩をとることで、徐々に不信感の壁がなくなっていく感覚がある。リーダーの先生はこまめに休憩と水分を取らせ、熱中症に気を配る。


仕事のやりがいとは、成果の実感アップ


に向かったのは、細い路地。この細い道は、川になっていたそうだ。その怖さを想像する。そこにたまった土砂を巨大な袋に入れていく。そこまでは人の手でやり、あとはその袋をショベルカーで持っていくという。チームはうまく機能し出し、スコップの運び具合が早い。みるみるうちにきれいになっていく。最後は竹箒で細かい砂までなくなった。みんなでそのビフォアアフターの違いを喜ぶ。

うして成果がありありと見える嬉しさが、仕事のやりがいの本質なのだろう。大の大人が休み時間をとることも忘れ、スコップに夢中なっている姿は不思議なものだ。仕事をする喜びが、そこにはある。みんな、輝いている。その道に面した家のおばあちゃんは、「ありがとうございました」とほんとに感謝を示してくれた。なんだろう、この充実感。


つらさと楽しさの振り子ひらめき電球


業が終わると、リーダーのおじさん先生がUWPの友達を下の名前で親しげに呼び会話している。それを見た他の先生たちが、それを笑顔で冷やかす。おじさんもそれに応えて楽しそう。バスへ戻る道を歩いていると、いきなり、土砂をたっぷり載せたリアカーがゴォーゥとすごいスピードで下りてきた。それを運んできたお兄さんは笑顔。メンバーの先生がたの知り合いだったらしく、あいさつをする。どうやらどれだけ速く運べるかを楽しんでいるようだ。先生たちも笑っている。

日、ボランティアの心構えとして、説明されたのは、「元気にやるために、笑いながらやりましょう」というものだった。こういう悲しい状況のときこそ、ユーモアや笑いが必要なのだ。事実、私たちは疲れを忘れ、慣れない肉体労働を楽しんだのだ。自然の力が大きい現状を見せ付けられたが、それが振り子となるように、人間の持つ力も大きいと感じる。つらい状況に置かれたときこそ、人は「生きよう」とするのだろう。


行きかう助け合い虹


っきのチームで仲良くなったおばさんと一緒にお昼ご飯。支給されたおにぎりとは別に、おにぎりやたくさんの漬物やおかずをいただいた。すべてがお手製だ。懐かしい味がする。話を聞いてみると、その方はなんと72歳だそうだ。いままで普通にスコップで作業をしていたのに。戦争のころから畑仕事をしてきたから丈夫な体なんです、だって。

の町ではボランティアの講座を開いているそうだ。ボランティアでデイケアの施設をつくり、運営もしている。そんなボランティア活動の下地があるからこそ、今日にもつながっている、と話してくれた。ここにはボランティアが休めるように毛布まで用意してくれ、いたれりつくせりだ。新潟からスイカの支援もあったそうだ。これは新潟中越地震のときに支援した、そのお返しらしい。後の作業でのバケツリレー。初対面同士のチームプレー。ここでは、助け合いが行きかっている。


桜井和寿が歌う『to U


「光と影と表と裏 矛盾も無く寄り添ってるよ

私達がこんな風であれたら

 

 然と人間。悲しみとユーモア。仕事のつらさとやりがい。私たちはこの繊細なバランスのなかで、生きている。


「また争いが 自然の猛威が 安らげる場所を奪って
眠れずにいるあなたに 言葉などただ虚しく 
沈んだ希望が 崩れた夢が いつの日か過去に変わったら
今を好きに もっと好きになれるから
あわてなくてもいいよ」



 の災害自体も、私がボランティアで体験したことも、過去になっていく。



             【つづく】