「となりのトトロ」再考して最高。 | 月刊ビオラ~Shimpei特集記事~

「となりのトトロ」再考して最高。

月。山々は木々の緑に彩られる。その緑色は単なる緑じゃない。その山の遠近ぐあいで青くなったり、時には紫色になる。何気なく「山は緑」というけれど、そうではない。山自体ではなく、木一本一本の緑の集まり。葉っぱ一枚一枚の緑、何億枚もの緑の集合体を一度に見ているわけだ。その葉が風に揺られれば、まるで山が生きて呼吸しているように見える。

るさとの長野にいると、「田植えの時期」を肌で感じることができる。今まで茶色だった田んぼに水が張られ、空の青色や山の緑色を映し出すようになる。その水に黄緑の苗がきれいに植えられていくのだ。黄緑のグラデーションに覆われた半透明な田んぼの水面に映し出された山々は、最高に美しい。この気持ちの良い季節を舞台にしているのが「となりのトトロ」。サツキとメイという名前は、どちらも五月。

 私たちの忘れ物流れ星

のプロモーションでのコピーは「忘れ物を届けにきました」だそうだ。経済に力を注いでいった現代日本社会の「忘れ物」。イギリスに留学していたとき、彼らは「Green」と「Fresh air」に価値を置いていた。ロンドンは人が多すぎるし、空気は汚れている。だから、休日には郊外にきれいな空気を吸いに来るのだと言っていた。この感覚を持った人の割合が日本に比べて多い印象だった。イギリス留学のあとに参加した国際教育プログラムのUWPでの日本滞在では、外国人が長野を気に入ってくれた。なんて「Peaceful」なところなのだと。こんな見方は今までしてこなかった。経済的な発展は都会より遅れていて、都会に比べて「ない」ものが多いと思っていたけど、彼らの視点を借りて長野を見てみると、ここには自然や人々の穏やかさが「ある」ことに気づいたのだ。その「自然と人々の穏やかさ」が私にとっての「忘れ物」だったのかもしれない。



お化け屋敷も夢見る場所になる虹


なりのトトロ」に出てくる日下部一家。大学教授の父と入院中の母、そして12歳のサツキと5歳のメイ。彼女たちが「忘れ物」に気づかせてくれる。この物語は、トトロが主人公の単純なファンタジーではない。現代人が忘れかけている「自然や家族に対する気持ち」がリアルに描かれているのだ。

都会から田舎へ引っ越してきて、まず、「木のトンネル!素敵ね」と駆けていく。自然がつくる情景に感動できる純粋さが、心地いい。都会から来たのだから、「デパートがないね」とか「汚いところね」と言ってがっかりしてもおかしくないのに、言わないのだ。逆に、感動して楽しんでしまう。

っ越した家は、年季の入った日本家屋。村の子どものカンタからは「お前の家はお化~け屋~敷」とからかわれるほどだ。腐敗して倒れそうな柱まである。子どもたちは、今までと違った環境に引っ越してくる不安がただでさえあるだろう。しかし、お父さんは「二階の階段はいったいどこにあるでしょ~かっ?」と、骨が折れる引越しをゲームに変えて、子どもたちを楽しませながら手伝わせる。子どもたちはそれに応えて、「あれ~?あれ~?」と笑いながら駆けていく。

階に上がったサツキは「マックロクロスケ」を見て「お父さん、この家やっぱり何かいるみたい」と、不安になる。それに対してお父さんは、「そりゃすごい!お化け屋敷に住むのが父さんの子どもの頃からの夢だったんだぁ」と笑って答える。お化けという不安材料も見方を変えれば、楽しみな夢にまでになってしまう。おばあちゃんにマックロクロスケのことを言うと、「にこぉにこぉしてれぇば悪さはしねえし、知らないあいだにどっかにいっちまぁうんだぁ」「今頃ぉ、引越しの相談でも、ぶってんのぉかな」と言って安心させてくれる。お化けだって友達のように思えば怖くないし、サツキたちと同じように「引越し」という俗世的な会話をしていると思うと、笑ってしまう。

、家族三人でお風呂に入っているときに、強い風で家が壊れそうな音がする。あたりは静かで強風の音しかしない。子どもたちは不安になり、お父さんに寄り添う。お父さんは「みんな笑ってみな、おっかないのが逃げちゃうから」と大声で笑い出し、サツキとメイもまねをする。入院しているお母さんから「新しいおうちはどう?」と聞かれると、サツキは「お母さん、おばけやしき好き?」「好きよ」「良かったぁ、嫌いじゃないかって心配してたの」と真剣に会話する。お父さんの心の広さ。それに包まれた子どもたちのあたたかさ。


日下部おとうさんの父親力 星


じゃまたくしぃ!」と喜んで自然の生き物と遊ぶメイ。考古学者のお父さんは家の軒先で論文か何かを書いている。その庭先で遊ぶメイに「おじょうさん、おべんとさげてどちらへ」と尋ね、メイは「ちょっとそこまで」と気取って答える。二人にとってお決まりのようだ。「おとうさん、おはなやさんね」とメイが摘んできた花を仕事中の机に乗せていっても、お父さんは怒らない。逆に、その花を見ながら仕事を進めるのだ。仕事の邪魔になるからひとりで遊んでなさい、ではないのだ。

 

イはあるとき小さなトトロを発見する。それを追いかけていくと大きなトトロと出会う。そのことをサツキとお父さんに言い、道順を案内するがたどり着けない。「トトロ、ほんとにいたぁんだもん」と泣きそうになるメイ。このときのお父さんの問題解決力に脱帽。やさしく近づき、こう言うのだ。「うん、お父さんもサツキも、メイが嘘つきだなんて思っていないよ。メイはきっとこの森の主に会ったんだ。それはとても運がいいことなんだよ。でも、いつも会えるとは限らない。さあ、まだあいさつにいってなかったね。塚森にしゅっぱぁつ。」

ず、「嘘つき」とは思ってないとやさしく言う。信じてくれないという不安を取り除き、信頼される安心感を与えるためだ。次に、一度会えたことだけでも「運がいい」とその貴重さを説明する。トトロに今は会えないという悲しさを取り除き、むしろラッキーだという幸福感を与えるためだ。最後に、「塚森にしゅっぱぁつ」と元気良く次のアクションに進める。「塚森」とは森の神様を祭ったところだ。ふがいない状況を一挙に解決してしまった。メイは元気に歩いていく。

森に着くと、その大木を見上げ、「立派な木だな。きっとずっとずうっと昔からここに立っていたんだね。昔々は木と人は仲良しだったんだよ。お父さんはこの木を見て、この家がとっても気に入ったんだ。お母さんもきっと好きになると思ってね。」子どもたちにとって、ただ「自然を大切にしないさい」とか「温暖化だから」とかより、どれほど気持ちよく効果的に伝わったことだろう。そこにはお父さんの自然に対する畏敬の気持ちと家族に対する気持ちが溢れているからだ。決して押し付けのメッセージではなく、視点や思いを示しているだけだ。しかし、そのインダイレクトな言葉は、子どもたちの胸に深くストレートに刻まれたであろう。

にお父さんは「気をつけ。メイがお世話になりました。これからもよろしくお願いします。」と手を合わせて祈る。子どもたちもそれに倣う。ちゃんと感謝の気持ちを忘れない。祈る、ということ。決して科学的ではないし、合理性のある成果をもたらすとは限らない。では、その価値とは何だろう。それは、祈る謙虚な気持ちが、実際の行動に現れることではないだろうか。自然の恵みに祈れば、自然を大切にする倫理観が自分のなかに出来上がる。その自分のなかの法律によって、日々の行いに違いがでてくるはずだ。お父さんは、さりげなく自分の倫理観を子どもたちに示している。



サツキのコミュニケーション能力アップ

ス停で、サツキとメイがお父さんの帰りを待つ。静かな雨の夜。傘を持ってないお父さんに傘を渡すためだ。なかなかバスは来ず、メイは疲れてサツキにおんぶしてもらい眠ってしまう。そしてサツキは初めて、トトロと出会う。こっちは猫バスを待つためだ。雨にぬれながら待っているトトロに「あ、待ってね。貸してあげる」とお父さんの傘を手渡す。初対面の怪物にもサツキは気をつかい、やさしい。

ではマスコットキャラクターとなったトトロだが、初めてあの巨体を目にしたら怖いだろうに。そんなこともお構いなく受け入れてしまうサツキ。傘という道具を知らなかったトトロが戸惑っていると、「早く。メイがおちちゃう。こうやって使うのよ。」と教えてあげる。焦らず、臆せずに言ってのけてしまうのだ。現代の日本人にとって、初対面への相手に対する積極性は貴重だ。サツキなら、どんなに文化背景が違う外国人とも積極的にコミュニケーションをとっていけるだろう。 

のお礼にサツキたちは種をもらった。「おうちの庭が森になったら素敵なので、庭に蒔くことにしました。」とお母さんへの手紙。「おばあちゃんの畑って宝の山みたいね。」と獲れたてのキュウリをかじる。トトロは純粋な子どもにしか見えないそうだ。森を純粋に愛するサツキたちは、トトロにとっても魅力的に映っただろう。空飛ぶコマに乗ったトトロにつかまって、空中を滑空するときは「メイ、あたしたち風になってる。」と素直に感動する。新幹線に乗った俺は、「俺たち、風になってる」と感動するけど、共感してくれるかな。今度、新幹線に乗ったら、ぜひトトロや猫バスで疾走する心持で車窓を眺めてほしい。



ツキは入院しているお母さんのぶんまでしっかりしている。お父さんがまだ寝ている間に朝食とお弁当を手際よく用意し、メイに火鉢での焼き魚を手伝わせて面倒を見ている。登校初日にはもうすでに一緒に行く友達ができていて、お父さんを驚かすが、サツキは平然と「いってきま~す」と駆けていく。

んなサツキが唯一涙をみせたのが、病院から電報が届いたときだった。ほんとは心細いという気持ちが堰を切ったように出ていた。それまでは一切そんな素振りは見せず、元気いっぱいに見えたのに。お母さんと一緒の布団で寝たいというメイをなだめて、笑いに変えてしまうサツキなのに。病院でお母さんは、お見舞いに来たお父さんにこう言うのだ。「あの子たち、見かけよりずっと無理してきたと思うの。」

なたの「忘れ物」は、何ですか。