倫敦5☆ | 月刊ビオラ~Shimpei特集記事~

倫敦5☆

   

   セントポール大聖堂  youth hostel  半地下の窓ごしに

  図を頼りにユースホステルを探す。チューブの駅をでると、セントポール大聖堂。ここはダイアナ妃と皇太子の結婚式が行われた場所だそうだ。大聖堂という名だけあって、普通の教会とは格が違う。巨大な石が何段も積み上げられて、細かい彫刻が施されている。今日は途方もなく疲れているから、また明日の朝、ゆっくり見ようということにした。寄り道からサヨウナラ。

 ステルを見つけ出したはいいが、思い描いていた扉とは違う。開放的なガラス製の扉をイメージしていたが、真っ黒で大きく頑丈な扉だ。中の様子は一切垣間見れない。しかも鍵が閉まってる。なんといっても、ドアノブがないのだ。これじゃ頑張っても開けられない。頑張りようもない。24時間チェックイン可能って確認したはずなのに。もう遅い時間だから、まわりに人気はない。どうしようか途方に暮れていたところ、客のひとりであろうお姉さんが帰ってきた模様。開かずの扉をどうするのか見つめていると、傍らのブザーを鳴らした。そしたらなんと、扉が自然にガタッと開いたのだ。俺たちは三人で顔を見合わせる。開いたね・・・。その扉が閉じないうちに急いで入り込んだ。

 さなフロントには、機嫌の悪そうな従業員。アフリカ系イギリス人男性。夜勤がつらそうだ。おそるおそるネットの予約を確認してもらう。このユースホステルは、一泊朝食付きで£20(4000円)。ロンドン中心地にしてはかなり安い。だから、多少の悪状況でも文句は言えないことは覚悟の上だ。確認を終えると、名前や住所やパスポートナンバーを書く。そして、パスポートを見せろと言ってきた。俺は偶然持っていたからいいけど、友達は持っていない。すごいあやしい目でこっちを見てくる。自分たちは語学学校に通っていて、ホリデーでロンドンに来たと説明。パスポートはなくしたら大変だから、普段は持ち歩かないんだと説得。長い沈黙。

 め顔で、しぶしぶ鍵を渡してくれた。やっと部屋に着く。鍵を差し込む。これまた、開かない。ここは六人部屋のドミトリー。だから中で眠る他の客を起こさないよう、静かに鍵と格闘。イギリスの鍵は日本のように性能が良くない。正当な手段で開けようとしても、そう簡単には開けられないのだ。しばらくは「あたり」を探らなければならない。正当な鍵なのに。いったんその探りに慣れてしまえば、簡単に開けられるようになるのだが。しばらくガチャガチャやっていると、おめでとう。やっと開いた。中に入ると真っ暗で、ひとりだけ眠っていた。小さな明かりを点け、自分の寝床を確保。疲れているのに、ベットまでの道のりは長かった。

 っていると、他の客が帰ってきた。知らない人たちと部屋を共有するというのは、怖いものだ。バックを抱えて盗まれないようにする。二段ベットだったから、靴も自分のベットに上げておいた。彼らが眠りだすと、いびきが聞こえてきた。しかも何重もの重なりで。これだけ大きく何人ものいびきを聞いたのは初めてだ。気が散って眠れない。しょうがないから耳を自分の手でふさぐけど、まだ聞こえてくる。結局あまり眠れずに朝になった。ロンドンから帰った後、ホストに「まるでオーケストラのようないびきだった」と説明したら、「それであなたはビオラの役目を担ったのね」だって。まあね。

 さなロビーで友人と待ち合わせ、ホステル内のレストランに行く。レストランといっても、学食のようにトレイを持って、好きなものをオーダーしていく。コーンフレークやベーコンをお皿に盛って進むと、おかずを盛ってくれる店員に見覚えが。よく見るとエプロン姿のフロントの人だった。いろいろ働くんだな。また機嫌が悪そうに何か言ってくる。どうやら機嫌が悪いのではなく、そういう性格なんだろう。朝食のチケットを出せと言ってきたからポケットから出す。いきなり言われたから、少し戸惑っていると「チケットだチケット!」とまた疑ってくる。もうこのパターンは慣れてきた。日本ではなんでも丁寧だけど、こっちではこれが普通の対応だ。それに今度はエプロン姿で少しカワイらしい。

 食はおいしく、雰囲気も良い。日本人だけでとる食事だから、二ヶ月ぶりに「いただきます」をした。なつかしい響き。手を合わせるという感謝の気持ちが心地いい。食事中、友達と昨晩の愚痴を言い合ったからもうスッキリだ。食後にコーヒーを飲みたくなり、セルフサービスの飲み物コーナーに行く。コーヒー自体はあったけど、コーヒーカップが積まれていたであろうラックには一つもない。カップは他を見回しても見当たらない。しょうがないから、店員に尋ねようとする。でも例のフロント兼任のエプロン店員しか近くにいない。また半分怒った口調で言われるのは嫌だし、忙しそうに働いているのを妨げるのは気が引ける。

 んなことを考えていると、目の前に他のお客さんである紳士が現れた。俺は不安そうな表情をしていたのだろう。困っているのに気づいてくれたのだ。彼は、俺が何に困っているかもお見通し。ほほえみながら、ラックをクルッ。このラックは回転式だったのだ。俺の視界に入らない裏側にカップは積まれていた。俺はとても嬉しくて、思わずお辞儀をした。自然と、手を合わせながら・・・。久々の「いただきます」で、作法の感覚がおかしくなったのか。無意識って不思議。顔を上げると、なんと彼も同じように手を合わせてお辞儀を返してくれてしまった。とても丁寧に。ああ、ごめんなさい。俺の国では、お辞儀だけなんです。ほんとは。

 分のおかしな行動に気づいたときには、もう彼は向こうに行ってしまっていた。俺は頭をかしげて苦笑い。彼が教えてくれた、コーヒーカップとあたたかいキモチ。この一連のコーヒー事件のなかで、俺と彼は一言も言葉を交わしていない。言葉を超えたところで、または、言葉以前のところで、良質なコミュニケーションをとったのである。俺は彼がどこの国出身で何語をしゃべれるのか知らないし、彼は俺がアジアのどこか手を合わせてお辞儀をする国出身だと思っているだろう。何もしゃべらなくても、まちがった感謝の表し方でも、彼は理解してくれた。相手の流儀で返してくれた。それが嬉しい。気持ちは十分伝え合えたから。

 ーヒーを飲み終わったあとも、俺は笑顔でいることができた。