倫敦3☆ | 月刊ビオラ~Shimpei特集記事~

倫敦3☆

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 ワーブリッジのそばで発見した建物の写真。かっこよし。イギリス人は石とガラスが好きなんだ。そう思わせる。それらと対照的に、木製のものは一切見当たらない。イギリスの民家は、見た限りほとんどがレンガづくり。一方、日本は木造建築を誇れる。その暖かさが今でははっきりと感じられる。自然と共存しているようで、自然に溶け込んでいるようで。実は、俺の実家は木の家だ。そこが好き。実家でビオラを練習したり、友達とアンサンブルをすると、かなり心地よい響きを醸す。まるで木で作られた楽器が、仲間と喜び合っているように共鳴するのだ。けれど、そんな家は珍しい。日本も今ではコンクリートばかり。密閉性が増し、「清潔さ」と引き換えに、自然や社会と遠ざかる。「清潔さ」とは、有機リン汚染、シックハウス症候群、化学物質過敏症、アトピー、これらとシノニムだ。機能性やデザイン性を残しつつ、人や自然にやさしいものを造るのが、未来の建築テクノロジーであってほしい。


 食後、ガイドブックを広げ、わくわく。これからの計画を立てる。とりあえず次の目的地を選択。そこへは二階建てのバスに乗って移動。二ヶ月も住むともうお馴染みになったが、最初は驚いたものだ。どこに階段が隠れているのか、どうやって運賃を払うのか、二階の屋根がオープンになっている型のバスは雨が降ったらどうなるのか、謎があり、どきどきだった。そんな謎が解けた今でも、ロンドンのハイ・ストリートを駆けるバスは魅惑的。俺たちは喜んで二階に駆け上がる。上の席は見た目の優雅さとは別に、高い分かなり揺れる。酔いやすい人は酔うこと間違いなし。こんなに揺れて、なんで倒れないのか不思議なくらい。一方、そこからの眺めは、優雅なままだ。昔の白黒映画にでてくる街並みが次々と飛び込んでくる。どうやら、バスを外から見るのと、バスから外を見るのは、つまり、見る分には優雅なようだ。優雅でいながら、荒い振動。あたまがあっちやそっちへ揺れながら、到着。

 のロンドン在住の友達のキャンパスがすぐそばにあるそうだ。ぜひ行って見学してみたいとねだり、案内してもらう。校舎内にはガードマンがいて、部外者は建物の中に入れないらしい。アナログなセキュリティだが、デジタルなカードキーなどよりよっぽど確実に入れない。友達のカードを借りて、なんてことはできないもの。こういう最新デジタル技術は、そのまま生活を豊かにしてくれるとは限らないと実感。選択肢を増やしてくれるのであって、それをどう使うかが鍵だ。そんなわけで、見学という名の冒険はまた今度。

二階建て  ロンドン大学 6

 の友達はこれから図書館で論文の資料収集だそうだ。切符の買い方から大学まで案内してくれたお礼を言って別れた後、三人だけになった。ここからは自立しないとね、と、さっきまで後ろをついてきただけなのにふと気づき、気合を入れる。慣れないロンドンの地図を頼りに、右へ行くか左へ行くか議論を重ね、ついに着きました。ここはギリシアの神殿、ではなく大英博物館。

アフリカのアート  神殿内部 図書館    

 ゼッタストーン、これを見にこの超巨大博物館に来たのだ。高校の世界史で習った石の名前。ただの石ではない。古代エジプト文字を解読する鍵であったのだ。ケータイの絵文字のようなヒエログリフと民衆文字とギリシア文字。約二千年前、日本が弥生時代のとき、これを彫った翻訳家はどんな人生を送ったのだろうか・・・。授業中には写真満載の資料集をひとり眺めて、よく空想の旅に出かけていたっけ。その記憶が蘇る。例えばカエサルはこんな顔をしているから、きっと英才教育を受けた生い立ちで・・・とか、ナポレオンが天下を取った後、民衆に失望されたときにはどんな気持ちだったんだろう・・・とか、光陰画家レンブラントの絵に描かれた光の中の少女は次にどう行動したのだろう・・・なんて。そんなタイムスリップが授業中の密かな楽しみだった。年号を覚えていくだけではとても暇だったから、世界のうねりを感じてみたり、登場人物に感情移入していく。すると、地球の人生を宇宙船からのぞけけるのだ。何千年もの時間と、何千キロもの距離を上空から俯瞰するのだ。つまりは、授業中ボケーッとしていたのだ。ごめんなさい、斉藤先生。

すごい図書館  ロゼッタ

 英博物館には、エジプトのみならず、アフリカ、アジア、アメリカ大陸、さまざまなエリアがある。博物館の総合商社だ。ロゼッタストーンのあとは、本格的なエジプトのエリアに行く。そこは装飾品や彫刻などの展示品で埋め尽くされていた。なんでもあり。まるでデパート。エジプト物産市。見るものすべて珍しいし、きれいで、整然としている。エジプト関連だけでもとても広く、ゆっくりは見ていられない。これはきっと歴史的価値があるんだろう、なんて横目で見ながら通り過ぎる。目指すはロゼッタストーンに次ぐ目的、ミイラだ。色彩豊かに彩られた棺が何個が展示されていた。棺の横には包帯で巻かれた人間、かつては人間であったミイラ。それらは棺から出され、姿を露にしている。他の観光客はミイラと記念写真を撮っていたけど、俺たちはとてもそんな気分にはなれなかった。いつもはパチパチ撮っていたカメラをかばんにしまう。あまりに、「展示」されていたからだ。かつては安置され、人々の祈りのなかで眠っていたはずなのに。それが今では、遠いイギリスまで運ばれ、こうして蛍光灯のもとに記念撮影のアイドルになっている。まるでディズニーランドの着ぐるみだ。中には、飢えによって自然にミイラ化したものも展示されていた。蛍光灯のもとに。

 思わず、心の中で手を合わせる。